他律神経の日記

犬が好きです。

文学とは何か――現代批評理論への招待(下) (岩波文庫)をいただきました

 Amazonウィッシュリストより、『文学とは何か――現代批評理論への招待(下)』 (岩波文庫)をいただきました。

 ありがとうございます。

 テリー・イーグルトンの名作で、下巻は未読のため、大変嬉しいです。これから読ませていただきます。

 贈り主名がハンドルネームではないようでしたので、ここにお名前を書くことは控えさせていただきます。また、直接のお礼のご挨拶もできておりませんが、旧ツイッターで相互フォローの方どうか、こちらではわからなかったため、どうかご容赦ください。

 以上、よろしくお願いいたします。

2024年2月21日 神を信じないという大罪がデフォルトの近代では当為を語っても意味がない

 水曜日、曇り時々雨。生暖かい。たまに降雨がある。外を出歩く「べき」ではない。夜勤後、別の出張先へと移動する前にホテル近くの喫茶店に入る。疲れ果てているせいか、歓迎されていないような、そんなテレパシーを感じる。どうしようもないトーストとコーヒーを摂って、移動。客が私しかいない喫茶店で煙草を吸う。小さな映画館に入る。フランスのコメディ映画を観る。割と真面目に観た。真っ暗なシャッター街を通り抜ける。商店街を装うことすらやめている。地方はもう終わりだ。まさに時間を潰してホテルへ。ようやく風呂に入る。抜け毛が凄くて気持ち悪い。どんなに美しい人間も代謝をすると思うと気持ち悪い。私は美しくなく、気持ちの悪いおっさんだ。コンビニで食事を買い、ホテルに引き籠もる。腰が壊れてきている。これではもうやれる仕事はない。私の人生は終わりだ。死のうと思っている。人生にけりをつける時が来た。私が言いたいのは、みんな好きにすればよいということだ。みんな好きにして、そして、そのまま、人類史の終わりを大きな力で引き寄せればよい。あなた方が神は死んだと歓喜の声をあげた時には、まだ、神の存在を信じることを放棄したということは、ただ力の強い者が勝利することを賛美して屠られるか、あるいは、偶像神を無数にでっち上げて自ら生贄になるという、その覚悟ができていなかったのか? 

2024年2月20日 不完全な認識能力が不完全な現実を作り出す

 火曜日、晴れのち雨。阿呆のようなスケジュールで働いており、実際もうかなり阿呆になってきている。だいたいもう火曜のことをよく覚えていない。だいたい月曜や、先週や先々週と似た苦痛があったということだけを覚えている。出張であらゆるところを転々としており、ビジネスホテルを利用して夜勤に従事し、10時になるとビジネスホテルを追い出されて街を彷徨ってから次のビジネスホテルに入ることを繰り返している。こうなるとまず街を彷徨わなくてはならないのがしんどいが、加えて、風邪をひくかも知れないので風呂に入るタイミングがない。だから風呂に入らずに脂ぎった身体のまま街を彷徨うことになる。人間の認識能力は低すぎて、こういう見た目の人間は概ねこうであるとか、そういった偏見を使うことでどうにか環境情報を処理しており、こうなると、私のような脂ぎった労働者は何処へ行っても歓迎されない。汚らしい貧乏人、ホームレスという具合だ。ホームレスの大変さをほぼ完全に理解しつつある。そして恐らくは、差別は、人間の生理現象であろうということを確信しつつある。彼らは最後の審判の日まで閉ざされた情報環境で偏見に基づき、殺し合うことになる。勝手にしやがれ

2024年2月19日 おうちに帰らせてください

 月曜日、雨。ホテルを追い出され、次のチェックインまで雨の中を彷徨う。俺が考えているのは、ただ、家に帰らせて欲しいということだけだった。俺は仕事を辞めようと思った。俺の中で最も重要なこと、神は存在するということについて、俺は考えられていなかった。家に帰らせて欲しい、仕事を辞める、それしか考えていなかった。それから神の次に重要な俺の家畜、俺の唯一の家族だが、そのことも殆ど忘却していた。俺はホテルに入り、語学をやり、神に祈った。俺は雨に濡れた臭いおっさんであり、そして、瞬間のヨブだった。神は確かに存在する。このことを忘却する大罪の前では全ての罪は些事であり、俺は旧ツイッターでの140字いっぱいの諸々の主張にも何も感じなくなっていた。

2024年2月8日 猛烈な腹痛をエロ画像で鎮めた時、俺は既に飢餓ゲームの開始を宣言していたことを思い出した

 木曜日、晴れ。クソ起床からクソ出張。久しぶりに家に帰れたと思ったら、これだ。一昨日は酷い雪だった。一昨日、俺は空から地面への、白い斜線の数多を見た。あまりにも疲れ果てており、日記を書くような気分ではない。こんな日記でも日記であるからには思考を伴う。思考があってメディアがあるのではなく、メディアがあって思考があるのだ。メディアは思考を強制する。だから疲れ果てると日記を書いている場合ではなくなる。今日はクソ出張からのクソ上司とのクソ会話とクソ事務作業とクソ残業で日記にわざわざ書くようなことは何もないのだが、少し気持ち悪い話を書いておこう。過敏性大腸炎なのか、医者に行って診てもらう時間もないが、今日もあまりにも腹が痛かったが、エロ画像を見て勃起して鎮めた。たぶん俺はもうあらゆる機能、キ―ノ―ウが不可逆的に壊れ始めているのだ。

2024年2月4日 現実がクソだからこれからVR・ARは一大産業になる

 日曜日、曇り。頭が爆発しそうなくらい寒い。明日は午後から降雪があるらしい。不要不急の外出は避けろとか何とか。不要不急でないことなど、あるのか。馬鹿馬鹿しくてしようがない。エッセンシャルワーカーについての議論もそうだが、労働者に余計なプレッシャーを加えようとしているようにしか思えない。エッセンシャルワークで再生産される文明は明らかにエッセンシャルではない。今日は昨日までの出張の疲労で永遠に眠っており、犬の体重と体温を感じていた他は『奇跡のヒト』を読んでいたくらいで特に日記に書くことがない。ペヤングソース焼きそばに納豆を入れて食べた。納豆なんか入れるなバカタレ。Apple社が新しい拡張現実デバイスを発表したというニュースを旧ツイッターで見たが、拡張現実は今後、巨大な産業になるポテンシャルがあると思う。これは簡単で現実がクソだからだ。今や文明は再帰的文明化によって自殺しようとしており、いわば自殺する過程に見る曖昧な幾つかの夢の一つとして、VR・ARテクノロジーがあると思う。他には人工知能原子力などがあると思うがもうこれは日記に書く「ほど」のことではない。みんなわかっている。エネルギーを無尽蔵に使ってなおグリーンな文明、他人との摩擦のない文明、生産過程に人間というノイズのない文明といったファンタジーをみんなが望んでおり、そのために人工知能原子力VR・ARが長期的に有望な投資テーマになることなど、みんな、わかっている。口に出してはいけないから黙っているだけだ。

2024年2月3日 日記という病

 土曜日、晴れ。夜勤終わり。現場近くのビジネスホテルに戻り次第、全裸になり、合皮製の安っぽい、北欧の刑務所みたいではない椅子に座り、背筋を伸ばして煙草を吸う。俺がここに書いていることは全てフィクションだ。しかしフィクションだという言明もまたフィクションだとしたら、どうだろう? 阿呆ほど眠くなり、起きるともう出所の時間だ。東京へ戻る。だいたい新幹線も京都、名古屋あたりからうるさくなってくる。この世には言葉が多過ぎる。発狂しそうだ。およそ人の街は全て、衰退し、死を待つばかりの田舎の、拡大し続けるコインパーキングに飲み込まれてしまえばいい。どうぶつの森だけ残せばいい。俺には何の関係もない。吐き気がする。頭が痒い。俺が再生産に貢献している社会は俺を絶対に愛さない。俺もお前らも愛さない。お前らはコインパーキングの車止めの影だ。もうすぐ家に着く。犬としか話したくない。