他律神経の日記

犬が好きです。

2021年6月6月 真面目さなどには何の価値もない、人を1番多く殺してきたのは「真面目さ」だ

 日曜日、曇り。労働、朝から。

 早朝労働4日目。さすがにうんざりした。もうこの仕事を辞めるしかない。通勤前に缶コーヒーのみ飲む。学習の成果。結局、日中にモンスターエナジーを飲んだ。労働強度は低め。資格手当という小遣いのための学習を行う。くだらない。吐き気がする。大方の社会人は労働時間外に学習しない。当然だ。日本では企業が幹部候補生にそれを提供している。幹部候補生すなわち正社員。でなければ、もう、学習時間や資金の提供はない。ここに格差拡大の一因がある。「真面目な」人間ならば、労働時間外に学習して上を目指せとか言うのだろうが、私はそうは言わない。アンダークラスがソシャゲ、パチンコの話、陰口で盛り上がっても自然という他はないからだ。長い労働時間と低い賃金の狭間にある余暇を、何故、学習などに使う気になる? そして奴隷が反乱を起こそうという時に、農民が一揆をしようという時に密告屋となるのが「真面目な」人間であるから。真面目さなどというのはクソだ。何の価値もない。しかしソシャゲ、パチンコの話、陰口の先に何かあるかというと、これは別に何もないだろう。そういえば崩壊3rdに課金した。どうしても欲しい衣装があった。ターミナル駅の本屋に入る。何も買わずに出る。帰宅。即眠る。23時に1回起きて、また寝る。家で何もできない。死にそうだと思う。だが実は私は既に死んでいる。