心象風景の擾乱

認識の最初の兆候は死への願望である。

ゲームは楽しい、人生は楽しくない、だが聖預言者によれば来世こそが本当の生で現世は一瞬の戯れ、一瞬のゲーム、しかしどうしても楽しくない

 2021/06/15

 火曜日、晴れ。朝までの労働後の「休日」。

 それなりに労働強度が高く、疲労した。時限性のものが多く、緊張を強いられる。真夜中、人間が本来は寝ている時間にこれほどの緊張を強いられては、そしてしかも賃金が安いとなっては、先輩たちがしょっちゅうトイレに行ったり、パチンコやソシャゲくらいしかやることがないとしても、致し方ないという気持ちにはなる。資本は疲れない。人間は疲れる。この速度感の差を、まさにガルブレイスが言ったところの「近代社会が機能的に要請するアンダークラス」が埋めているというわけだ。多くのことを引き継ぎ、朝、家に帰る。喫茶店に寄って、高い食事を摂る。家に帰る。風呂に入ってから眠りたいが、なかなか風呂に入る気力がない。気力を振り絞って入浴することになる。何度か睡眠と覚醒を繰り返してから、犬と散歩に出る。ホームセンターで土を買う。帰宅後、建造中のドッグランに土を撒く。少し芝が生えてきていた。芝以外を抜き取らないといけない。夜、ゲームをする。ゲームは楽しい。人生もまた、ゲームであると聖預言者は言っていた(来世こそが本当の生)が、今の私にはどうしてもそう思えない。