他律神経の日記

犬が好きです。

2021年7月3日-2021年7月16日 来世に対してこの人生はゲームであるということを思い出すために『原神』を始めた

 2021/07/03

 土曜日、晴れ、恐らくは。労働、朝から。

 労働強度は低かったような気がする。あまり印象がないので、低かったのだろう。あまりやることがなかった。先輩が小規模に失敗して、さらに上の先輩やすぐ下の後輩に嘲笑されていた。嘲笑は人間に固有の作動であると思われる。動物と暮らしていると、笑顔は醜いと思う時がある。尻尾で態度を表明していた頃のほうが平和だった気がする。

 


 2021/07/04

 日曜日、晴れ、恐らくは。労働、昼から。

 労働強度は低かった。少なくとも、本日締切の予定はなかった。ただ明日以降の仕事が溜まっており、先回りして先輩とやることになった。こういうところに人によっては労働の「現場」の連帯感や高揚感を見出すのだろうと思った。私は特に何も感じなかった。オフィスでは早く家に帰りたいとしか思っていない。

 


 2021/07/05

 月曜日、雨のち晴れ、少なくとも私が外に出た時は。労働、夜から。

 労働が夜からのため、昼間は空いていたが、こういう細切れの休息が休息足り得るのか私にはわからない。行軍中などであれば、本当に貴重に感じるのかも知れない。私達は行軍中だ。平和主義国家では企業が軍隊になる。私はこのような休息に、大いに使用者に感謝すべきなのだろう。吐き気がする。殆ど眠って過ごす。最近、ゲームをすることを覚えた。ゲームは楽しい。通勤中、電車が人身事故で大きく遅延する。一度も降りたことのない駅で停車した。1時間後に再開予定というアナウンス。雇用関係のあるところと指揮命令関係にあるところの二所に電話で遅延、遅刻の連絡。こういう形態で労働すると手間が増える。ブルシットジョブ。

 


 2021/07/06

 火曜日、曇り。労働、朝まで。「休日」。

 それなりに労働強度は高かった。24時間社会はかくして成立する。私はガルブレイスが言うところの、近代社会が機能的に要請するアンダークラスそのものだ。かなり疲労して帰路へ。喫茶店でモーニングを摂る。喫茶店のモーニングする、高く感じる。コロナ・ショックが消費税増税の影響を隠してしまったが、コロナ・パンデミックの後にも、それは顕在化することになる。例えば私は殆ど金を使わない。帰宅後、1日中眠る。これで休日が終わる。騙されたような気分と、確信。

 

 

 2021/07/07

 水曜日、雨、恐らくは。休日。

 何か記憶に残るような、記録に残すような気になることをやろうと思ったが、何一つできなかった。日記の更新頻度からも明らかなように、最近、こういうことが増えた。こういうこと、つまり労働時間以外の時間が吹き飛ぶ現象。だいたいは横になっている。犬ともあまり遊べていない。雨ばかりでおかしくなりそうだ。

 


 2021/07/08

 木曜日、雨。労働、朝から。

 労働強度は低い。しかし大きめのプロジェクトが複数動いており、メールが飛び交い過ぎてわけがわからなくなってくる。情報の洪水だ。情報爆発だ。疲労の蓄積から、何もかもどうでもよいという気分になる。社用のスケジュール管理アプリにメールの内容を一つ一つ転記していく。内容と、私がやらねばならない作業の関係がわからなくなってくるし、わかりたくなくなってくる。

 


 2021/07/09

 金曜日、雨。労働、朝から。

 雨ばかりだ。電車の乗り換えで外に出なくてはいけない時があり、憂鬱。そもそもリモートワークからば、こんなことはありえない。ワクチンはまだ接種できていない。一体いつになるのか? こんなゲームにはもう付き合える気がしない。労働強度は大したことがない。今日もメールが飛び交っている。勝手にやっていて欲しい。帰路、ビッグイシューの販売者が雨の中立っているのを見る(昨日のことかも知れない)。新刊ではなかったので通り過ぎた。

 


 2021/07/10

 土曜日、晴れ。労働、昼から。

 もう3日前のことであるのに、記憶が曖昧だ。こんなことなら死んでいても同じだ。三島由紀夫の『文学的人生論』を読み始める。あとゲームをやっている。『原神』。私は美少年が好きだ。労働強度は高いということも低いということもなかった。報告しなけれはならないことがあり、それをまとめるのに時間を使った。しかしこういう時間が私は嫌いではない。もっと一人で黙々とできる労働に従事したかった。他者とは地獄である。何もやることがなくなり、オフィスに人もいないので眠る。安い弁当を食う。新人とベテランが別件の作業に行き、消え失せた一瞬があった。少し思い出してきた。それから、出社してきた後輩が新作ゲームを買えたとかで興奮して話していた。その、今まさに生成されている感情を絶対に忘れるな! 特急電車で家に帰る。犬が起き出して、玄関に来た。犬はアルティメット・シイングだ。

 


 2021/07/11

 日曜日、晴れ時々雨。労働、昼から。

 労働強度はあまりにも低かった。先輩と話し込んでいた。傷つけられた魂の見本のような、私の鏡のような人間だ。このような環境ではそれも致し方ないという気がする。私たちは発注された燃料に過ぎない。相互監視があまりにも強く、馬鹿馬鹿しいと感じる。他人が労働しているか否かばかり話している。それは、我々が常に労働していないと思われていると思っていることとパラレルだ。しかし私は私が発狂してしないことを証し立てるために書くが、もしも背後の汚物の山を無視して、誰か他人の目の中の塵についてばかり論評しているような人だらけの文明があるとしたら、そんな文明には未来はない。安い弁当を食い、帰りの電車でゲームをする。帰宅すると、犬がリビングの椅子の上で起きて待っている。眠すぎて玄関に来ることはできなかったが、ともかくも私を待って、寝床には入らなかったらしい。犬については論評など必要ない。次の文明の覇者は犬で良いと思っている。無神論者が統治するよりは1億倍良いと思う。

 


 2021/07/12

 月曜日、雨、恐らくは。労働、夜から。

 夜から労働。普段より2時間遅い。朝、2時間長く1人分だけ追加の労働力が必要なため。私は1つの燃料、私は1個の乾電池。人間は生産しない。人間は消費される。昼間は殆ど寝て過ごす。夜からの労働は最悪だ。日中をどう過ごせばいいかわからない。疲れることはできない。眠るにはあまりにも、セロトニンが放出されている。犬と遊んだり、本を少し読む。出勤。雨はなかったような気がするが、もう記憶がない。犬の散歩ができなかったので恐らく、雨。街が臭い。東京は臭い。半端な雨では、この都市の腐臭を拡散させるだけだ。表面を全て洗い流してしまうような、そういう力が必要だ。

 


 2021/07/13

 火曜日、晴れのち雨。労働、朝まで。休日。

 プロジェクトのため、2時間長く残る。温度感が高いだの、客がピリピリしているだのと発注されてここにいる人間燃料が語っていた。あまりにもどうでもいいと思う。何の意味も感じられない。彼が、あるいは彼らが、本当に真剣にプロジェクトに取り組んでいるのか、取り組んでいるふりをしているのか、私にはわからない。いずれにせよ、とてつもないことだ。そうさせる力が、この文明にはあり、そしてこの文明は、そうさせる力で維持されている。驚くべきこと。私もまた、しっかり2時間長く残って、真剣に労働に取り組んでいるふりをしてから帰宅する。もう眠くて眠くてどうしようもない。本屋か何か寄ろうかと思ったが、気力がない。喫茶店でカレーを食べて、帰宅。もう後は眠るしかない。2、3時間寝てから、犬と車で近所の公園に行き、散歩。帰宅後、再び眠る。23時近くに起床。そして休み明けには不眠のまま労働に出ることになる。この繰り返し。

 


 2021/07/14

 水曜日、強雨ときどき曇り。休日。

 中途覚醒を繰り返す。暑いからか。または。何とか起きて、犬の散歩に出る。帰宅して寝る。犬と遊ぶ。他には特に何もしていない。何もしていないことはできない。なるほど。他にはずっと横になっていた。横になるしかない時間というものが人間には確かにあるらしい。最近、『スマホ脳』という本を読んだが、あれはつまり、横になるしかない時間でもスマートフォンは触れてしまうことの弊害を書いている本だ。三島由紀夫の『文学的人生論』、光文社古典新訳文庫から出ているゴーリキーの短編集『二十六人の男と一人の女』を読了。ゴーリキーを始めて読んだが、とても良かった。あまりボリシェヴィキに向いてそうな感じはなかった。文学は葛藤がが書き込まれているほど面白くなる傾向があると思うのだが、そうするとやはりロシアだとロシア革命初期の作家たち、日本だと戦間期から戦後の作家たちが面白いということになる。

 


 2021/07/15

 木曜日、晴れときどき強雨。労働、朝から。

 昨日にほぼ眠っていたこともあり、夜に寝付くことができない。殆ど不眠のまま労働へ。労働強度が低かったため、何とかなった。自宅の最寄り駅にある床屋で散髪。ちょうど犬もトリミングの日だった。忘れていた。帰宅後、知っている限りの知識を動員し靴を磨く。犬と少し寝る。このため夜の入眠に支障があったが、犬と寝るより回復する儀式を知らないので後悔はない。ただ暑いせいか犬が離れて寝るようになった。

 


 2021/07/16

 金曜日、晴れ。労働、朝から。

 深夜、少し起きていた。miHoYoのおかげでゲームをすることを覚えた。『原神』をやっている。やり過ぎると3D酔いで吐く。人生もこういう、ゲームのようにならないものだろうか。やるべきタスクがはっきりとしていて、そこへのルートも示されるような。ゲーミフィケーション。そもそも人生は、来世に対して、ただのゲームのようなものに過ぎないはずであるのだから、別に難しいこととも思われない。しかし実装方法は思いつかない。今後も考えることにする。労働強度はかなり高かった。労働強度が高いと、労働時間が短く感じる。これが良いという人もあり、私も一定同意するが、人生を短くすることに喜ぶというのは不健全な気もする。労働後、途中駅で下車し旧友に会う。午後9時近くに帰宅。犬は散歩に行って疲れ果てていたので、玄関に飛び出してこなかった。我々よりずっと、暑さに弱いらしい。通勤時、バイロン・ケイティの『ザ・ワーク』を読んでいる。ワーク。