他律神経の日記

犬が好きです。

2021年5月19日 犬は常に正しい、生命は常に神を賛美しているので

 水曜日、雨のち曇り。労働、夜から。

 昨日の小規模な失敗と夜からの労働のためか、倦怠感が酷くてしようがない。出社したら、同僚に何で息が切れているのかと聞かれた。私にも理由がわからないので、何でですかねと言っておいた。私はたぶんもうすぐ死ぬのだろう。昼間は殆ど寝ていた。自室で独りで眠り、起きてスープを飲んでから、リビングで犬と寝た。

 我が家の犬の記念日は2回あって、我が家に来た日と誕生日だ。今日は誕生日。ほぼ成犬になってから我が家に来たので、こちらの犬の飼育経験がないこともあって受け入れが大変だった。それから昨年はかなり重い胃潰瘍になって、嘔吐ばかりしていた。本当に不憫だった。ともあれ、今日で3年間、生存していることになる。実に素晴らしい日だが、犬の方は別に普段と変わらない。記念日というものは、犬にはなさそうだ。そして、それが正しい。犬は瞬間そのものを生きている。マインドフルネスな生き物なのだ。あるいは生き物というものが、自己意識という病を患う人間以外を指す言葉なら、生き物は定義上、マインドフルネスということになる。だから、犬は常に正しい。誕生日ということによって、はしゃいだりはしない。あらゆる日のあらゆる瞬間に、喜ばしきことがあれば、はしゃぐ。例えば私がコンビニへ行く。帰宅する。この間、30分足らずだが、犬は大喜びして、脚に悪いからやめろと言うのに、跳ね回る。犬は常に正しい。コンビニへ行っただけだから、どうせまた会えるという思考は、これは、本能を損なわれた不完全な生き物である人間に特有の病的な発想に他ならない。誰でもいつ死んでもおかしくない。であるならば、あらゆる時に、再会を喜ぶべきだろう。このように犬は常に正しい。毎日がウイルスという弾丸を用いたロシアンルーレットの今日では、犬を見習うべきだろう。誕生日ではしゃぐのではなく、あらゆる日にはしゃぐこと。あらゆる瞬間にはしゃぐこと。