他律神経の日記

犬が好きです。

2021年5月23日 ウイルスは「道徳的」な人間には感染しないと思いこんでいる政府とギャンブル好きな国民

 日曜日、晴れ。労働、朝から。

 さすがに昨夜は眠ることができた。始発で労働に向かう。始発の駅は殆ど人がいない。恐らく私のような文明の修道士か、道化しかいないのだろうと思う。労働強度はかなり低い。延々と待機。やることがない。頭がどんどん劣化していくのを感じる。昼に安い弁当を食べる。缶コーヒー、モンスターエナジー、缶コーヒー。たぶん私は糖尿病か何かで死ぬことになる。カフェインと糖分なしに目を覚ましていることができない。目を覚ましているに値する人生ではなかった。

 公園にも帰りの電車にも人間が充満していた。オルテガ・イ・ガセット曰く、大衆社会とは大衆が何処にでも充満している社会のことである。金を貰えないなら、こんなに人間が充満しているところに来ることはない。補償なしに「自粛」を「要請」してくる、日本語を壊している連中にも吐き気がするが、わざわざ充満する連中にも吐き気がする。それとも金を貰っているのか。全てに吐き気がする。しかし、最近では、休みの日にわざわざ出かけて、ロシアンルーレットの試行回数を増やす人たちの気持ちがわからなくはないと思い始めている。馬鹿な政府はウイルスは「道徳的」に振る舞っている人々すなわち通勤者や労働者が満員電車や狭苦しいオフィスでウイルスに感染することはないと思っているようだが、実際にはそんなことはないのだから、そうすると、休みの日に他人を避けたところでロシアンルーレットの試行回数は大して減らないことになり、だったら遊んでやろうと思ってもおかしくはない。とはいえ、いずれにせよ、無策な政府と無策な政府を批判することよりも破れかぶれになることを選んだ人々しか、この列島にはいないということの証明に過ぎない。