他律神経の日記

犬が好きです。

2021年6月2日 変化がなければ情報はない、情報がなければ毎日はない、毎日がなければ毎日日記を書く必要がない

 水曜日、晴れ。休日。

 数日の前のことすらよく覚えていない。社会の集合的記憶が困難であるのは当然だ。恐らく、『グリーンブック』を観終えたあとで眠り、何とか早めに起床。ブログ用に日記を書き、少し小説を書くなどした。起きてからは、犬とまた寝て、昨日と同様にホームセンターと隣接する公園へ犬と出掛けた。一度帰宅してから、夕食のおかずをスーパーで購入、コンビニへ寄ったあとで帰宅。暗くなってから部屋を片付け始める。本を2箱分、離れに移動した。別にミニマリストになりたいわけではないのだが、低い情報処理能力と掃除の整合性を取るためにミニマリストになりつつある。明日の出勤が早いので、早めに寝る。最近、中途覚醒が酷い。悪夢ばかり見る。

 

 

 2021/06/03

 木曜日、晴れ(時々雨?)。労働、朝から。

 労働強度は最初の数時間だけ高く、後は大したことがなかった。ただ、もう眠くてしようがない。早朝からの労働は身体に悪い。まともなことができない。帰ると、これが良くないのだが、犬とソファで数時間寝てしまう。犬は悪くない。夕食、入浴、中途覚醒

 

 

 2021/06/04

 金曜日、雨。労働、朝から。

 中途覚醒。悪夢ばかり見る。部屋が暑いからか? 通勤中はもう寝るしかない。労働強度は低いが、他社への電話など、とにかく電話が多くて疲弊した。電話が好きではない。それに何だか最近、耳が遠くなってきたような気がする。客の怒りに触れないよう、仕事が増えてうんざりした気持ちになった。この文化は何なのだろう。森の生活に入ることを願っている。帰りの電車、間違えた駅で降りたが、本屋に行ってみたりして、少し面白かった。

 書いていなかった数日分の日記を書いてみたが、やはり労働のある日は、間違えた駅で降りてみるくらいしか、変化が生じない。情報が差異から生じるなら、私の人生には情報がないことになる。とにかくもう、どうしようもなく疲れている。生活習慣病で死ぬことになる。