他律神経の日記

犬が好きです。

2021年6月5日 資本主義ゲームで勝利してきたのは有能な個人ではなく有能な集団

 土曜日、曇り。労働、朝から。

 深夜、中途覚醒。最近、変な夢が少なくない。通勤前にモンスターエナジーを飲み、職場最寄り駅で缶コーヒーを飲む。死のうとしている人の飲み方だ。労働中、気持ち悪くなる。高血糖からの低血糖カップヌードルを食べてやり過ごす。死のうとしている人の食べ方だ。労働強度は低かった。資格の勉強をする。労働後、本屋に寄って問題集を買った。地元の喫茶店に入る。15分で出る。帰宅後、すぐに寝る。寝てばかりいる。これからゆっくりと起きている時間と寝ている時間が逆転して、私は死ぬことになる。

 こういう業界にいると、みんな他人を出し抜くことに真剣であることがわかる。資格を取る、給料を上げる。私も半ば乗せられるようにして学習と取得に励んでいる。小銭を貰うために。現場では、誰が無能であるか常に裁き続け、自分は有能な個人として労働市場で戦うことができると自分と他人に言い聞かせ、身売りし、生き残ろうとする。しかし、ここに後発資本主義国の国民のあまりにも残念で、残酷な帰結をもたらす資本主義への誤解がある。資本主義で生き残ってきたのは有能な個人ではなく、有能な集団である。個人で生き残れるほど甘くはない。各人が合理的に振る舞えば、その集合もまた合理的に振る舞うであろうという、典型的な合成の誤謬だ。これがどれだけの人間を不幸にし、この国に敗北を抱きしめさせてきたか。