他律神経の日記

犬が好きです。

2022年2月28日 社内報でリモートワークになったから趣味のサーフィンができる場所に引っ越した社員の話を読んで絶望した記憶

 月曜日、晴れ。深夜、よく眠れない。珈琲の飲み過ぎ。部屋のゴミを片付ける、ゴミ捨て、散髪、犬と散歩、祖母の命日のために荷物の発送、部屋を片付ける、語学。

 昼夜逆転の兆しがある。それから休みが長過ぎるかも知れないという恐怖。軽い労働を生活に加えなくてはならない。私には何処までも落ちていく能力がある。能力、が。今日も部屋の片付けが中心。車で3回は家を出た。散髪もした。平日日中も結構、人がいる。全員無職なのか? 机にごっそりと埃が溜まっている。指で擦ると塊になる。私がもうひとりいれば、もっと色々なことができるのだが。進捗がよろしくない。犬との散歩はいつもと違う、小さな公園へ。住宅街を歩く。こちらを誰もいない。全員セルに吸収された。パソコンのマウスが壊れたので父に3つほど貰ったがいずれも使えず。みんなどうやって生計を立てているのかわからない。明日は部屋の真ん中のゴミ袋、飲み物の残りを全部捨て、机の上を片付け、語学以外のルーティンを増やしたい。犬との散歩は何処がいいだろうか。あと退職届を出す日を会社にメールしないといけない。会社にあと1回はいかないといけないことになっている。原始時代なのか。兄が深夜に帰ってきた。私も老齢の母親をこんな時間に起こして食事を出させても何も感じない人間なら、もう少し生きやすかったような気がする。取り敢えず正式に退職してから諸々を考えることにしよう。まずは全ての、労働の垢を洗い流そう。

 それにしても何でこんなことになったのか、たまに考えてしまう瞬間はある。人によってはリモートワークで通勤時間がなくなり、サーフィンを楽しんでいる者もあるというのに。私も1ヶ月くらいの休みが許されたら、こんな空白の時間を望むこともなかったかも知れないのだが。とはいえ、そう、この世界の大半の人は「丁寧な暮らし」など望みようがない状況にある。人によってはミサイルが家の屋根を突き破るような場所に住んでおり、あるいは家がなく、あるいは生まれる前に死んでいく。つまりは、私もそちら側の人間なのだろう。ウクライナ危機での人々の態度が私に嫌悪感を催させるのも仕方ない面があると思う。私は難民の側の人間だ。文明の狂気を批判し、正義を口にしながら、天然ガスだけは安価なままであって欲しいと望む厚かましい人々の側ではない。