他律神経の日記

犬が好きです。

2022年3月2日 無職になるので何かオファーがないかと1000人くらいに連絡を取った

 水曜日、晴れのち雨。部屋、特に棚を片付ける、犬と散歩に行く、語学をやる、棚を片付ける、コンビニへ行く、漫画を読む、夜なのに珈琲を飲む。

 深夜、映画『囚われた国家』の冒頭30分くらいを観る。ストーリーなどはよくわからないが、とにかく非常に美しいシーン、場面、光景があり、それだけで観る価値がある。『ドリーム・キャッチャー』が、モーガン・フリーマンが戦闘ヘリで宇宙人を撃ち殺すシーンがあるがために観る価値のある映画であるのと同じ理由だ。朝は10時くらいに起きる。少し語学をやり、部屋の片付けを再開する。犬を部屋に連れてきても問題ないようにするという目標のおかげで全てがわかりやすくなった。犬は全てをクリアにする。犬と散歩に出る。また住宅街を歩く。人間がまったくいない。ここから、全労働者が街へ出撃するのだ。ウクライナと同様、ここも戦場だ。きっと、ウクライナの郊外もこんな風になっている。あとは砲声を加えるだけだ。戻って、一人でコンビニへ行ってから、また部屋を片付ける。棚を片付け終えるカメラが2台出てきた。本を離れに移動する。カメラ用のSDカードを離れから回収する。雨が降ってきた。犬が鳴く。ウクライナでの戦争対応のためか、近くに基地にある私の家の上の空は喧しい。ウクライナ報道によって意識させられているか、私が暇なのか、とにかく飛行機の数が増えたような気がする。完全にコロナウィルスのことを忘れていたのでコロナウィルスとGoogle検索で検索したら、まだ騒いでいた。退職のための手続きを会社で行う日が決まった。

 駐日ウクライナ大使館による義勇兵の募集に70人ほど応募があったとのニュースを読んだ。世界史に同期して死にたい人たちなのだろう。私にも気持ちは大いにわかるつもりだ。私も世界史に同期して死にたいと思っている。しかし、実は、全ての死が既に世界史に同期しており、裏返せば世界史に同期していないのだ。何が言いたいのかというと、世界戦争がリアリティを帯び、私は思考を吹き飛ばすことができるようになったということだ。犬と散歩すること、犬と寝ること、畑を耕すこと。世界戦争の予感が私に無限の知的怠惰を許そうとしているからこそ。