日記

犬が好きです。

2021年6月14日 それが成功しても私には何の関係もないことのために楽しそうな顔をしたり悲しそうな顔をする、感情を失う

 月曜日、晴れ。労働、昨夜から朝まで、また夜から。

 それなりに作業予定はあるが、特に時限性のあるものはなく、気が楽だった。私たちはオフィスビルに通う工場労働者だ。私は工員だ。大きなプロジェクトの第2段階が滞りなく完了。とはいえ、その成否は私には何の関係もない。成功すれば「彼ら」の手柄であり、失敗すれば私は何かプロジェクトの重大な関係者の1人として、深刻そうな顔をしていなければならないことになる。労働終了直前に今ひとつのプロジェクトの工程が始まったが、私と新人は本当に入り口の検査だけ始めて、次の人に引き継ぐだけだったので、楽だった。帰り、小雨に降られる。梅雨入りなのかどうか、私は知らない。天気予報というものを基本的に見ない。帰宅して眠り、また労働へ。街はもう眠りに入ろうとしている。あるいは、明日が休みのため、街路で集う人々。エッセンシャル・ワーカーに居場所はない。

2021年6月13日 犬はエッセンシャルなことしかしない

 日曜日、晴れのち小雨。労働、夜から。

 夜から労働。それまで休み。犬と寝て、起きて、犬と寝て、終わり。最近、ゲームをすることを覚えた。『ラ・ボエーム』を少し読むが、眠くてしかたがない。労働に出る。電車で少し資格の勉強をする。犬と寝ていたいと私は思う。人生にとって、それこそがエッセンシャルだからだ。チームのリーダーと新人と私だけで労働することになる。それなりに作業予定がある。

2021年6月12日 エッセンシャル・ワーカーなどと煽てられているうちに何もかもを失ったレイバーたち

 土曜日、小雨。労働、昼から。

 昨夜の疲れでおかしくなりそうでも、労働はある。労働強度はさすがに低かった。特にやることもないので資格の勉強など行う。安い弁当を食い、先輩と帰る。特に話すこともないので、私は黙っている。あまり話す人間と思われないほうがいい。帰りにはもう開いている店もない。この時間に出歩いている人間はまともではないというメッセージを街中が発している。しかしエッセンシャル・ワーカーの労働は普通、エッセンシャルであるために24時間稼働なのであって、そうするとやはり街は、そして街にそうするように命令する行政府はエッセンシャル・ワーカーのことなど何とも思っていないのだろう。勿論、飲食業界のことも。帰ると、犬が起きてくる。共感性が高いので、何かを察したのかも知れない。そう、私は会社を辞める。森の生活に入る。

2021年6月11日 どんなに自己否定的でも自分を攻撃するのは難しいので自己否定的な人間は攻撃性が高くなる

 金曜日、晴れ。労働、朝から。

 始発で労働に出る。大変そうなので早めに寝たのが良かった。始発の電車に乗っている人間は、私自身の投影のために、いずれも何か訳ありの人間に見えなくもない。こんな時間帯に、普通、人は移動しない。労働強度は本当に高くて、心底嫌になった。作業をしながら2人がかりで怒られるような状態。もう本当に仕事を早く辞めたほうがいい。そして、この経験が何かに役立つかと言うと、恐らく、何にも役立たないだろう。思い出すのもうんざりするような時間。自分のことを心底嫌っている人間の、攻撃性の高さ。自分のことを心底嫌っているが、自分を攻撃するわけにはいかないので他人を攻撃するというメカニズム。メカニカルに死んでいく。昼食も摂れなかったし、昼休みもなし。馬鹿馬鹿しいのでそろそろ辞めよう。ともかくこの社会の仕組みのようなものだけは学ぶことができた。統治者の技術と、被統治者の技術。生き延びるための。

 結局、この日の労働が重すぎて、更新が滞ったと書いておく。

2021年6月10日 会社を辞めて森の生活に入ろうと思ったが既に森の生活をしていた

 木曜日、晴れ。休日。

 午前中、アンリ・ミュルジェールの『ラ・ボエーム』を少し読む。午後、友人が来たので街に出る。街に。2人来る予定だったが、1人が先に来た。珈琲を飲む。いつでも珈琲を飲んでいる。人が揃ったので河原に行く。結構、人間がいる。Z世代みたいな人々。ところどころ、河が淀んでいる。別にバーベキューをするつもりもないので、ずっと上まで歩いていく。水の中に入る。石が細かく、歩きやすい。魚も泳いでいる。私は田舎に住んでいる。向こうでは、大きな犬が遊んでいる。また、白鷺が一羽だけ川岸にいて、Z世代が叫びながら水へ飛び込むのを見ている。私は田舎に住んでいる。博物館に行ってから解散。ダイソーで買い物。明日は労働。

2021年6月9日 人が住んでいない建物はすぐに腐敗する、魂の住んでいない生活はすぐに腐敗する

 水曜日、晴れ。休日。

 深夜3時に起きる。特に何もしていない。時間は飛ぶ。少し寝て、朝起きて、部屋を片付ける。意味もなくコンビニへ行く。しかし意味の否定もまた意味だ。離れの窓を開ける。人が住んでいない建物はすぐ腐敗する。書類を整理する。この日には終わらず人生の節目、岐路の選択の結果がだいたいA4一枚の紙に印刷されている。入学の云々、内定通知、退職、シフト表、小説公募の講評等々。殺してきた可能性の亡霊が部屋に充満し始める。犬と散歩に出る。帰宅すると1時間半経っていた。散歩中は時計も見ないしスマートフォンも見ない。こういうふうに人生が終わればいい。神の前に立つと何十年が過ぎていた。

 毎日がわけのわからないうちに終わるので、日毎にメインのタスクを決めておくのがいいと思った。人はこういうことにいつ気づくのが普通なのだろうか。

2021年6月8日 労働で疲れ果てた私たちは週末に消費者として復讐する日を待ち望んで息を潜める

 火曜日、晴れのち雨。休日。

 1年か1年半ぶりの3連休。精神的興奮状態。奴隷身分からの一時的解放。今度は私が消費者として復讐する番だ、という。まさに資本の要請通りの興奮。私は完全にマインド・コントロールされている。溺れている者がどうにか水面に顔を出せた時の、先の長さへの恐怖と一時の解放への喜びの同居する、あの感じ。特に記憶はないのだが、4時くらいまで起きていたような気がする。それから少し寝て、朝に起きる。天気が良かったので、布団を干す、部屋を片付ける。なんで人間というのは、こんなにもゴミを撒き散らさないと生きていけないのだろう。私が言っているのはプラスチック製の容器とか家具とかだけでなくて、髪の毛であるとか、埃とかだ。実際、これは生きている限り、取り除いていかないといけないのでうんざりしてくる。いや、書きながら思ったが、これも文明の宿痾なのだろうか。もしも文明が定住すること、密になることを意味するのならば。家を解体しながら暮らす人々は埃に悩んだりするだろうか。犬と散歩に出ようとするが、急速に天気が悪くなり、雨が降り出す。布団はなんとか先にしまうことができた。珍しく一度も家を出ずに、残りの時間を犬と寝て過ごす。だいたい私は休日は意味もなくコンビニへ行くのだが。深夜3時に目を覚ました。入浴もしなかった。