他律神経の日記

犬が好きです。

2024年2月21日 神を信じないという大罪がデフォルトの近代では当為を語っても意味がない

 水曜日、曇り時々雨。生暖かい。たまに降雨がある。外を出歩く「べき」ではない。夜勤後、別の出張先へと移動する前にホテル近くの喫茶店に入る。疲れ果てているせいか、歓迎されていないような、そんなテレパシーを感じる。どうしようもないトーストとコーヒーを摂って、移動。客が私しかいない喫茶店で煙草を吸う。小さな映画館に入る。フランスのコメディ映画を観る。割と真面目に観た。真っ暗なシャッター街を通り抜ける。商店街を装うことすらやめている。地方はもう終わりだ。まさに時間を潰してホテルへ。ようやく風呂に入る。抜け毛が凄くて気持ち悪い。どんなに美しい人間も代謝をすると思うと気持ち悪い。私は美しくなく、気持ちの悪いおっさんだ。コンビニで食事を買い、ホテルに引き籠もる。腰が壊れてきている。これではもうやれる仕事はない。私の人生は終わりだ。死のうと思っている。人生にけりをつける時が来た。私が言いたいのは、みんな好きにすればよいということだ。みんな好きにして、そして、そのまま、人類史の終わりを大きな力で引き寄せればよい。あなた方が神は死んだと歓喜の声をあげた時には、まだ、神の存在を信じることを放棄したということは、ただ力の強い者が勝利することを賛美して屠られるか、あるいは、偶像神を無数にでっち上げて自ら生贄になるという、その覚悟ができていなかったのか?