他律神経の日記

犬が好きです。

2021年7月17日 無能な現実主義者よりは無能な理想主義者の方が好ましい

 土曜日、晴れ。労働、昼から。

 最近、よく眠れない。早寝早起き朝ごはんで出勤までの時間に何かしようと思ったが、変に目が冴えているというか、思考の展開が止まらない。これがスマホ脳の弊害なのか。光と音のストレス。私たちは休むことができなくなった。労働強度は低い。あまりにもやることがなかった。安い弁当を食べる。信じられないくらい安い弁当を食べる。帰宅後、犬が起きてくる。風呂に入り、また深夜まで起きることになる。この時点で殆ど確信している。私は壊れてきている。母が吉野家の牛丼をテイクアウトしてくれていたので食べた。

2021年7月3日-2021年7月16日 来世に対してこの人生はゲームであるということを思い出すために『原神』を始めた

 2021/07/03

 土曜日、晴れ、恐らくは。労働、朝から。

 労働強度は低かったような気がする。あまり印象がないので、低かったのだろう。あまりやることがなかった。先輩が小規模に失敗して、さらに上の先輩やすぐ下の後輩に嘲笑されていた。嘲笑は人間に固有の作動であると思われる。動物と暮らしていると、笑顔は醜いと思う時がある。尻尾で態度を表明していた頃のほうが平和だった気がする。

 


 2021/07/04

 日曜日、晴れ、恐らくは。労働、昼から。

 労働強度は低かった。少なくとも、本日締切の予定はなかった。ただ明日以降の仕事が溜まっており、先回りして先輩とやることになった。こういうところに人によっては労働の「現場」の連帯感や高揚感を見出すのだろうと思った。私は特に何も感じなかった。オフィスでは早く家に帰りたいとしか思っていない。

 


 2021/07/05

 月曜日、雨のち晴れ、少なくとも私が外に出た時は。労働、夜から。

 労働が夜からのため、昼間は空いていたが、こういう細切れの休息が休息足り得るのか私にはわからない。行軍中などであれば、本当に貴重に感じるのかも知れない。私達は行軍中だ。平和主義国家では企業が軍隊になる。私はこのような休息に、大いに使用者に感謝すべきなのだろう。吐き気がする。殆ど眠って過ごす。最近、ゲームをすることを覚えた。ゲームは楽しい。通勤中、電車が人身事故で大きく遅延する。一度も降りたことのない駅で停車した。1時間後に再開予定というアナウンス。雇用関係のあるところと指揮命令関係にあるところの二所に電話で遅延、遅刻の連絡。こういう形態で労働すると手間が増える。ブルシットジョブ。

 


 2021/07/06

 火曜日、曇り。労働、朝まで。「休日」。

 それなりに労働強度は高かった。24時間社会はかくして成立する。私はガルブレイスが言うところの、近代社会が機能的に要請するアンダークラスそのものだ。かなり疲労して帰路へ。喫茶店でモーニングを摂る。喫茶店のモーニングする、高く感じる。コロナ・ショックが消費税増税の影響を隠してしまったが、コロナ・パンデミックの後にも、それは顕在化することになる。例えば私は殆ど金を使わない。帰宅後、1日中眠る。これで休日が終わる。騙されたような気分と、確信。

 

 

 2021/07/07

 水曜日、雨、恐らくは。休日。

 何か記憶に残るような、記録に残すような気になることをやろうと思ったが、何一つできなかった。日記の更新頻度からも明らかなように、最近、こういうことが増えた。こういうこと、つまり労働時間以外の時間が吹き飛ぶ現象。だいたいは横になっている。犬ともあまり遊べていない。雨ばかりでおかしくなりそうだ。

 


 2021/07/08

 木曜日、雨。労働、朝から。

 労働強度は低い。しかし大きめのプロジェクトが複数動いており、メールが飛び交い過ぎてわけがわからなくなってくる。情報の洪水だ。情報爆発だ。疲労の蓄積から、何もかもどうでもよいという気分になる。社用のスケジュール管理アプリにメールの内容を一つ一つ転記していく。内容と、私がやらねばならない作業の関係がわからなくなってくるし、わかりたくなくなってくる。

 


 2021/07/09

 金曜日、雨。労働、朝から。

 雨ばかりだ。電車の乗り換えで外に出なくてはいけない時があり、憂鬱。そもそもリモートワークからば、こんなことはありえない。ワクチンはまだ接種できていない。一体いつになるのか? こんなゲームにはもう付き合える気がしない。労働強度は大したことがない。今日もメールが飛び交っている。勝手にやっていて欲しい。帰路、ビッグイシューの販売者が雨の中立っているのを見る(昨日のことかも知れない)。新刊ではなかったので通り過ぎた。

 


 2021/07/10

 土曜日、晴れ。労働、昼から。

 もう3日前のことであるのに、記憶が曖昧だ。こんなことなら死んでいても同じだ。三島由紀夫の『文学的人生論』を読み始める。あとゲームをやっている。『原神』。私は美少年が好きだ。労働強度は高いということも低いということもなかった。報告しなけれはならないことがあり、それをまとめるのに時間を使った。しかしこういう時間が私は嫌いではない。もっと一人で黙々とできる労働に従事したかった。他者とは地獄である。何もやることがなくなり、オフィスに人もいないので眠る。安い弁当を食う。新人とベテランが別件の作業に行き、消え失せた一瞬があった。少し思い出してきた。それから、出社してきた後輩が新作ゲームを買えたとかで興奮して話していた。その、今まさに生成されている感情を絶対に忘れるな! 特急電車で家に帰る。犬が起き出して、玄関に来た。犬はアルティメット・シイングだ。

 


 2021/07/11

 日曜日、晴れ時々雨。労働、昼から。

 労働強度はあまりにも低かった。先輩と話し込んでいた。傷つけられた魂の見本のような、私の鏡のような人間だ。このような環境ではそれも致し方ないという気がする。私たちは発注された燃料に過ぎない。相互監視があまりにも強く、馬鹿馬鹿しいと感じる。他人が労働しているか否かばかり話している。それは、我々が常に労働していないと思われていると思っていることとパラレルだ。しかし私は私が発狂してしないことを証し立てるために書くが、もしも背後の汚物の山を無視して、誰か他人の目の中の塵についてばかり論評しているような人だらけの文明があるとしたら、そんな文明には未来はない。安い弁当を食い、帰りの電車でゲームをする。帰宅すると、犬がリビングの椅子の上で起きて待っている。眠すぎて玄関に来ることはできなかったが、ともかくも私を待って、寝床には入らなかったらしい。犬については論評など必要ない。次の文明の覇者は犬で良いと思っている。無神論者が統治するよりは1億倍良いと思う。

 


 2021/07/12

 月曜日、雨、恐らくは。労働、夜から。

 夜から労働。普段より2時間遅い。朝、2時間長く1人分だけ追加の労働力が必要なため。私は1つの燃料、私は1個の乾電池。人間は生産しない。人間は消費される。昼間は殆ど寝て過ごす。夜からの労働は最悪だ。日中をどう過ごせばいいかわからない。疲れることはできない。眠るにはあまりにも、セロトニンが放出されている。犬と遊んだり、本を少し読む。出勤。雨はなかったような気がするが、もう記憶がない。犬の散歩ができなかったので恐らく、雨。街が臭い。東京は臭い。半端な雨では、この都市の腐臭を拡散させるだけだ。表面を全て洗い流してしまうような、そういう力が必要だ。

 


 2021/07/13

 火曜日、晴れのち雨。労働、朝まで。休日。

 プロジェクトのため、2時間長く残る。温度感が高いだの、客がピリピリしているだのと発注されてここにいる人間燃料が語っていた。あまりにもどうでもいいと思う。何の意味も感じられない。彼が、あるいは彼らが、本当に真剣にプロジェクトに取り組んでいるのか、取り組んでいるふりをしているのか、私にはわからない。いずれにせよ、とてつもないことだ。そうさせる力が、この文明にはあり、そしてこの文明は、そうさせる力で維持されている。驚くべきこと。私もまた、しっかり2時間長く残って、真剣に労働に取り組んでいるふりをしてから帰宅する。もう眠くて眠くてどうしようもない。本屋か何か寄ろうかと思ったが、気力がない。喫茶店でカレーを食べて、帰宅。もう後は眠るしかない。2、3時間寝てから、犬と車で近所の公園に行き、散歩。帰宅後、再び眠る。23時近くに起床。そして休み明けには不眠のまま労働に出ることになる。この繰り返し。

 


 2021/07/14

 水曜日、強雨ときどき曇り。休日。

 中途覚醒を繰り返す。暑いからか。または。何とか起きて、犬の散歩に出る。帰宅して寝る。犬と遊ぶ。他には特に何もしていない。何もしていないことはできない。なるほど。他にはずっと横になっていた。横になるしかない時間というものが人間には確かにあるらしい。最近、『スマホ脳』という本を読んだが、あれはつまり、横になるしかない時間でもスマートフォンは触れてしまうことの弊害を書いている本だ。三島由紀夫の『文学的人生論』、光文社古典新訳文庫から出ているゴーリキーの短編集『二十六人の男と一人の女』を読了。ゴーリキーを始めて読んだが、とても良かった。あまりボリシェヴィキに向いてそうな感じはなかった。文学は葛藤がが書き込まれているほど面白くなる傾向があると思うのだが、そうするとやはりロシアだとロシア革命初期の作家たち、日本だと戦間期から戦後の作家たちが面白いということになる。

 


 2021/07/15

 木曜日、晴れときどき強雨。労働、朝から。

 昨日にほぼ眠っていたこともあり、夜に寝付くことができない。殆ど不眠のまま労働へ。労働強度が低かったため、何とかなった。自宅の最寄り駅にある床屋で散髪。ちょうど犬もトリミングの日だった。忘れていた。帰宅後、知っている限りの知識を動員し靴を磨く。犬と少し寝る。このため夜の入眠に支障があったが、犬と寝るより回復する儀式を知らないので後悔はない。ただ暑いせいか犬が離れて寝るようになった。

 


 2021/07/16

 金曜日、晴れ。労働、朝から。

 深夜、少し起きていた。miHoYoのおかげでゲームをすることを覚えた。『原神』をやっている。やり過ぎると3D酔いで吐く。人生もこういう、ゲームのようにならないものだろうか。やるべきタスクがはっきりとしていて、そこへのルートも示されるような。ゲーミフィケーション。そもそも人生は、来世に対して、ただのゲームのようなものに過ぎないはずであるのだから、別に難しいこととも思われない。しかし実装方法は思いつかない。今後も考えることにする。労働強度はかなり高かった。労働強度が高いと、労働時間が短く感じる。これが良いという人もあり、私も一定同意するが、人生を短くすることに喜ぶというのは不健全な気もする。労働後、途中駅で下車し旧友に会う。午後9時近くに帰宅。犬は散歩に行って疲れ果てていたので、玄関に飛び出してこなかった。我々よりずっと、暑さに弱いらしい。通勤時、バイロン・ケイティの『ザ・ワーク』を読んでいる。ワーク。

2021年6月25日-2021年7月2日 記憶の否定は忘却だが、日記の否定はまた日記だ

 2021/06/25

 金曜日、晴れ。労働、昼から。

 労働強度は低かった。やることがなくて消耗したくらいだ。忙しい時には忙しいが忙しくなくても労働している振りを要求されるのでしんどいと思った。こうやって、よく考えると無意味なことに本当に消耗しているのだろう。こういう消耗が積み重なって、人は死ぬことになるのだろう。

 

 

 2021/06/26

 土曜日、晴れ。労働、昼から。

 これを書いているのが2021/07/03だから正直に言って天気のことなど覚えていないのだが、先週の労働日はあまり傘をさした記憶がない。労働強度はこの日も低かった。オフィスに誰もいないので労働しているふりをやめて、資格の勉強などしていたが、そうしたら先輩が近寄って小声で話しかけてきた。この秘密の話をしようというジェスチャアも気持ち悪いが、この後も本当に気持ち悪くて、そのせいで私は今日までこの日記をすら書く気になれなかった。彼によれば、私はまさに資格の勉強をしていることにおいて、評判が悪くなりつつあるということであった。スマートフォンを触っている連中は目立たないが書籍を持っていると目立つということであるらしい。レイバーは相互監視をしている間に何もかも奪われていく。あまりにも馬鹿らしいのでもう話をする気にもなれなかった。それから、いわゆるパワー・ハラスメントで「消された」前任者たちの話を聞かされた。それが彼の、彼らの自慢なのだ。相互監視の成果だからだ。働かない奴をパワー・ハラスメントで消し去ったという自慢。もう本当に度し難いし、一生やっていればよい。仕事を辞めることを決意する。

 

 

 2021/06/27

 日曜日、晴れ。労働、夜から。

 昨日のこともあり、本当に気持ち悪くなり、昼はずっと横になっていた。こんな労働しか充てがわれないということが、既にして私の人生が終わっていることの証左だ。吐き気がする。身分の違う「シャイン」と、出世できずに留まり続ける「ベテラン」と私と新人の4人。シャインは統治のコストを払っていないので、非常に穏やかで人当たりがよい。それはそうだ。「無能」な人間は相互監視の果てに、部下たちが勝手に処刑してくれることになっている。彼は手を汚さない。雇用関係と使用関係が別々の会社に結ばれている者達の支配は、支配する者から心理的なコストをも取り払ってくれる。彼はクビにするがクビにすることはない。こんな労働形態が一般化、全面化しているなんて本当にどうしようもないことだ。吐き気しかない。

 

 

 2021/06/28

 月曜日、晴れ。労働、朝まで。また夜から。

 あの「先輩」の、ひそひそ話が私において呪いとして機能している。相互監視の網の目を物理的なもののように感じる。夜間の労働は、報告義務のあるものが多く、疲れ果てた脳を痛めつける。私はもう完全に壊れかけている。新人のおかげで助かったと感じている。若い人たちは本当はダメージを負っているのかも知れないが、ダメージを負ったような素振りを見せない。とても凄い。私はもう若くない。これは余生だ。帰宅後、風呂に入らずに眠る。風呂に入る気力がない。起きて入浴する。母が出かけており、犬と過ごす。出勤直前、駅まで犬と母を迎えに行く。母の姿を遠くに見ただけで犬が鳴き始める。ワンワンではなくキュウンキュウン。泣き始める。車から飛び出して事故りそうで怖かった。母を家に置いてから出勤。「ベテラン」がいない。私はこんな流動性が高い労働市場をどうかと思っているが、そういう慣例に逆らって長く留まっている人間もどうかとは思う。傷つけられた魂を癒やすために他人を傷つけたがるようになる。愚劣。

 

 

 2021/06/29

 火曜日、曇り。労働、朝まで。また夜から。

 労働強度は低かった。新人のおかげだ。一部、新人と作業を実施。何故みんな急ぐのかわからない。帰宅後、風呂に入る。風呂に入ると目が覚めてしまい、日光もあってよく眠れなくなる気がする。期間工をしていた人のブログによるとどんなに疲れていても風呂には入ってから寝たほうがいいらしい。収容所文学と同じ結論。労働市場は巨大な収容所だ。囚人頭の待遇は相対的に良いものであるらしい。母がワクチン接種に行ったので、その間、犬と寝て過ごす。母の帰宅後、自室で眠る。起きて労働へ。あのひそひそと話す男と労働。

 

 

 2021/06/30

 水曜日、雨。朝まで労働の後、「休日」。

 労働強度はそれなりに高かった。細かく色々とやることがあり、神経を摩耗した。こういうことを夜間にやるから脳がおかしくなり、魂を傷つけられ、それを癒やすために他人を攻撃することになる。そしてこれは必ずしも、私の、この場所でだけ起きていることではないだろう。ここは24時間社会だからだ。エッセンシャル・ワーカーと煽てられた者たちを燃料にする社会だからだ。労働後、自宅最寄り駅の喫茶店に入る。私はいわゆる「自粛」などするつもりはない。もともと社交的ではないし、外食や外出を好まないので、常に「自粛」しているような状態ではある。しかし、どのみち労働のために外へ出なくてはならないのに、何を自粛することがあるのか? この国ではウイルスは労働中には感染しないと考えている者が少なくない。吐き気がする。この文明は完全に腐敗している。「自粛」も「新しい生活様式」も、レイバーには何の関係もない。帰宅して風呂に入り、18時近くまで眠る。

 

 

 2021/07/01

 木曜日、曇り時々雨。休日。

 昨夜、早く寝たにも関わらず、また10時近くまで眠る。眠くて眠くてどうしようもない。いかに普段、眠ることができていないか。労働時間のために意識のない時まで操作されている。不断の緊張は不断の緩和と同義だ。猛烈な精神の劣化。腑抜けていく。昼にサンドイッチを食べる。犬と近所の公園へ散歩に行く。よく歩いた。帰宅中、雨が降ってきた。散歩時間を確保するのが大変だ。帰宅後、犬と寝てる。食事を摂る。横になる。終わり。犬がいなかったら永遠に横たわっている。生活が壊れてきた。不可逆的でないことを祈る。

 

 

 2021/07/02

 金曜日、強い雨。労働、朝から。

 不眠のまま、労働に出る。概日リズムが崩壊しているので仕方がない。概日リズムが崩壊していると労働に支障が出るが、この労働は概日リズムを崩壊させなければ実行できない。通勤電車は行きも帰りも気絶していて記憶がない。労働強度は低い。助かった。安堵する。眠くてどうしようもない。帰宅後、犬と遊び、食事を摂り、眠る。

 

2021年6月18日-2021年6月24日 本当の面白さを感じる人間は元のような機能が無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っている

 2021/06/18

 金曜日、晴れ。労働、昼から。

 ここに来て限界を感じております。労働時間以外の時間を上手く使うことができない。上手く使うことができなかったという後悔ばかりがある。タスクが溜まり、次に何をしてよいのかわからない。いつも眠くて、意識のリソースを使うような作業をやる気にならない。労働強度がちょうど、一週間の始まりの日や終わりの、本当に退勤間近に高まるので、変に興奮してしまう。夜勤労働に向いていない。24時間社会に向いていない。この日はあまり労働強度は高くなかったが、オフィスに人が多く、緊張してしまい、本当に疲れたことを記憶している。私には緩急をつける能力がない。

 

 

 2021/06/19

 土曜日、恐らく晴れのち雨。労働、夜から。

 労働に出るまでの時間、家で寝て過ごす。こういう時に色々とやるべきだと思うのだが、どうにも、できない。労働まで後何時間だから、これに手を付けても中途半端になるという意識で、何もできない。疲れているので、死にたいと思う。もう二度と疲れたくない。労働強度は低い。何も依頼が入っていない。出勤前に『スマホ脳』を買う。私は完全に「スマホ脳」だと思う。しかし、この社会は既にスマホ社会ではないか? 実際、私は夜勤のために、わざわざブルーライトを目に照射している気がする。本を読むには、24時間社会を底辺で支えるレイバーの脳は、あまりにも乱れている。

 

 

 2021/06/20

 日曜日、雨のち晴れ。朝まで労働、また夜から。

 深夜、平均的には労働強度は低かった。少し資格の勉強など行う。モチベーションが低い。ただ、退勤間近になって、異常に忙しくなり、本当に疲れた。一番緊張する作業が一番脳が疲れている時に入る。もうどうしようもない。このため、帰りも変に目が冴えている。興奮状態にある。最寄り駅まで、母と犬が車で迎えに来てくれた。私を家に置いたあと、散歩に行くという。私が家に戻ろうとすると、犬が私のことをじっと見つめている。私も結局、散歩に付き合うことになる。犬の体調が少し悪かった。日中、少し眠り、また夜から労働へ。労働強度は高め。少し精密作業あり。自尊心が低いレベルの先輩で応対が面倒くさい。やはりここは良い職場ではないのだろう。長くいると、自尊心を損ない、そうして自分を攻撃するということの物理的・精神的困難から、他者に対する攻撃性を高めることになる。その毒は周囲にも、間違いなく感染していく。

 

 

 2021/06/21

 月曜日、晴れ。労働明けの「休日」(こんなものは詐術だ)。

 それなりの強度の労働。『スマホ脳』を読んでおり大いに共感したが、ブルーライトを眼球に照射しないと起きているのが難しい。私たちはスマホ社会を生きている。やはりまた退勤間際に労働強度は高くなり、本当にうんざりした。帰宅するが風呂に入る気力がない。ほぼ睡眠を取らずに健康診断へ行く。このような業務のせいでこのような健康診断が必要なのだから、これはほぼ労働であると思う。考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しい。本屋に寄り、外食してから帰宅する。風呂に入る気力がない。これで休日が終わり。吐き気がする。丸っきり奴隷以下の1日だった。

 

 

 2021/06/22

 火曜日、曇りときどき雨。休日。

 昨日の疲労でほぼ寝て過ごす。涼しくなってから、犬と少し散歩。夜、『甲鉄城のカバネリ』の少し観た。良いアニメ。ぬるぬる動くし、設定は深刻だがログラインが単純で、あまり疲労しない。

 

 

 2021/06/23

 水曜日、曇りときどき雨。休日。

 昼近くに起きる。銀行へ行く用事があったので、銀行へ行く。3件。コンビニへ寄る。犬と遊ぶ。散歩に行く。時間帯が良かったのか、他の犬によく会った。うちの犬は、少し前まで、他の犬に吠えてしまい、遊ぶことが難しかったが、今ではとても冷静で、他の犬と挨拶できるようになった。夜、『甲鉄城のカバネリ』を観る。残り1話。こういう休みも悪くないと思う。正しいと思う。

 

 

 2021/06/24

 木曜日、曇り。休日。

 アニメの1クールの一挙視聴を行ったので、昼に起きる。深夜2時くらいまで起きていたような気がする。母が出掛けてしまい、犬が本当にしょんぼりとしている。犬と寝ながら、『生命保険の不都合な真実』を読む。最近、活字と言えば、資格試験勉強用のテキストくらいしかなかったので、『スマホ脳』に続いて、この本を読むことができて良かった。本を読むことができなくなっていたらどうしようと思ったが、私はまだ、こういった本を面白く感じることができる。私の魂はまだ、完全には壊れていない。しかし崩壊が近いという予感もある。身体が固く、背中、胸などが痛い。死を考える。犬と車で近所の公園に行く。昨日とは違って、こちらの公園で会う犬の飼い主はあまりフレンドリーではない。勿論、フレンドリーである必要などない。しかし犬は他の犬と挨拶したがるので、少し悲しくなる。コンビニへ寄って帰宅。『生命保険の不都合な真実』の続きを読む。

2021年6月17日 エッセンシャルワーカーの神話が労働者を不眠にする

 木曜日、晴れ時々雨。労働、朝から。

 エッセンシャルワーカーの朝は早い。エッセンシャルワーカーの神話は労働者を叩き起こす。髭を剃り、眉毛を整え、鼻の穴の中にカッターを入れる。こういうことを、休みの日にはなかなかする気になれない。気力もないし、強い必要性を感じない。と、この感覚こそ、私が奴隷であることの証左なのだろう。私は本当に私の意志で何かをしているだろうか。いつも、ただ、駆り立てられている。駅のシャッターが開くより早く駅に着く。電車の中で寝る。何を飲んだか思い出せない。気持ち悪い。労働強度はやはりとてつもなく高かった。作業中、先輩が上の人間にシリアスに怒られていて、面白かった。別に怒られているのが面白かったのではく、怒っている人間を見るのが面白かった。こんなことでシリアスになるなんて、どうかしている。飢餓、戦争、差別、貧困。もっとシリアスになるべきがいくらでもあるのだが、こういうところで怒りを消費して、正気を保つのが社会人というものなのだろう。ようやく一段落してから携帯電話を確認すると、母から寝ている犬の写真が送られてきていた。腹を上にして寝ている写真。なかなか腹を見せる犬ではなかったので、良かった。本屋で『スマホ脳』を買う。喫茶店に入る。

 追記。彼が激怒した理由だが、恐らく、プライドの問題と思われる。職階からしてやる理由のない、何の技能も身につかない業務をやらされていたところに、階層というものを勘違いした先輩にコミュニケーションを試みられて怒ってしまったのだろう。

2021年6月16日 シーシュポスの神話としての汚部屋

 水曜日、曇り時々雨。休日。

 まともな時間に睡眠に入る。それでも中途覚醒を繰り返す。朝の8時くらいにかなり軽快な気分で覚醒したが、そのまま横になっていたら、時が吹き飛んで、11時くらいになっていた。トーストを食べる。部屋のゴミを少し捨てる。労働が激しくなると、すぐ部屋が汚くなる。休日はゴミを捨てることで潰れる。こういうことの繰り返しが人間を殺すのだ。シーシュポスの神話だ。本当に繰り返しに耐えることのできる者はいないだろう。そうなると、もう未来がなくなって、過去がなくなって、ひいては現在が消え失せるからだ。私は殆ど強迫的な観念に駆られて部屋の惨状を放置し、家を出た。小説を書いたり、日記を書いたりした。もう少し「届く」ようにしたいのだが、どうしたらいいのかわからない。喫茶店に入る。激しい雨を窓ガラス越しに見ながら、煙草を吸う。家に帰る。犬と寝るが、暑いせいかすぐ離れて、床で寝てしまう。明日の労働強度が高そうだから早く寝なければならないのに、なかなか寝付けない。

2021年6月15日 ゲームは楽しい、人生は楽しくない、だが聖預言者によれば来世こそが本当の生で現世は一瞬の戯れ、一瞬のゲーム、しかしどうしても楽しくない

 火曜日、晴れ。朝までの労働後の「休日」。

 それなりに労働強度が高く、疲労した。時限性のものが多く、緊張を強いられる。真夜中、人間が本来は寝ている時間にこれほどの緊張を強いられては、そしてしかも賃金が安いとなっては、先輩たちがしょっちゅうトイレに行ったり、パチンコやソシャゲくらいしかやることがないとしても、致し方ないという気持ちにはなる。資本は疲れない。人間は疲れる。この速度感の差を、まさにガルブレイスが言ったところの「近代社会が機能的に要請するアンダークラス」が埋めているというわけだ。多くのことを引き継ぎ、朝、家に帰る。喫茶店に寄って、高い食事を摂る。家に帰る。風呂に入ってから眠りたいが、なかなか風呂に入る気力がない。気力を振り絞って入浴することになる。何度か睡眠と覚醒を繰り返してから、犬と散歩に出る。ホームセンターで土を買う。帰宅後、建造中のドッグランに土を撒く。少し芝が生えてきていた。芝以外を抜き取らないといけない。夜、ゲームをする。ゲームは楽しい。人生もまた、ゲームであると聖預言者は言っていた(来世こそが本当の生)が、今の私にはどうしてもそう思えない。