他律神経の日記

犬が好きです。

2024年2月2日 おっさんが中途覚醒を繰り返すのは睡眠時間の長い子どもを守るため

 金曜日、晴れ。クソ寒いし、クソ疲れている。数日、入浴していない。出張と夜勤で各地を転々としており、風邪をひくのを恐れて入浴するタイミングがない。北欧の刑務所みたいなホテルに泊まっているが、北欧の刑務所ではないため、連泊ではないと朝の10時には追い出される。移動による景色の変化も特に面白くはない。もう何も面白くはない。面白いことなど一つもない。眠っても何度も何度も目が覚める。いよいよ最後の兆候が露わになりつつあるのを感じる。人間は何にでも慣れるが、慣れなければ死んでしまうので、つまりこれは生存者バイアスだ。だいたいにおいて漫画を読むくらいしかやれることがない。頭が完全に壊れてきた。俺は毎度毎度、桐島聡やら、ニュースやらに反応するつもりはない。俺が考えているのは、千年後のことだ。人間が死んだら何処へ行くのかってことだ。十年後にはなんの興味もない。それはもうわかっているからだ。お前らのような文明がまともな十年後に至ることはない。俺は通り過ぎる街の中で無数の怨嗟の声を既に聞いており、それは多分、十年くらいでこの空を埋め尽くすからだ。もう水はいっぱいだ。

DGR: グリーンテクノロジーは世界を救わない

 アメリカのラディカルなエコロジストの組織、ディープグリーンレジスタンスのホームページには「よくある質問」のページがあり、この団体の性格が非常によくわかって面白いので、いくつかまとめていくことにしようと思う。ここで私が面白いと言うのは、こういう理由である。すなわち、ラディカリストとは、あるロジックを徹底する者のことであり、そしてあるロジックの行き着く先を理解するための拡大鏡なのである。

 ディープグリーンレジスタンスは殆どグリーンな終末論者の集団であり、その基本的な立場は、これもいずれノートにまとめるが、現代文明は必然的に地球を破壊する生活様式であるため、地球が破壊し尽される前に現代文明を解体しなければならないというものである。それは拡大された自殺ではないか? と思う者があっても不思議ではないし、そしてそれは実際に拡大自殺だ。ディープグリーンレジスタンスの創設者デリック・ジェンセンは「よくある質問」の中で「産業システムを停止したら、都市に住んでいる人々が死ぬ運命に陥るのではないか?」という質問に以下のように答える。

誰かが「(文明を解体すれば)大勢の人が死ぬだろう」と言ったとき、私たちはどの人々が死ぬかについて話し合わなければなりません。世界中の人々がすでに飢饉を耐え忍んでいますが、殆どの場合、飢えで死ぬことはありません。彼らは植民地主義によって死ぬのです。何故なら彼らの土地と経済が盗まれたからです。世界では水が不足しているという話をよく聞きます。水は今でも昔と同じくらいありますが、人間が使用する水の 90 パーセントは農業と工業に使用されています。水が盗まれているため、人々は喉の渇きで亡くなります。

 ここては文明が解体されることで、既に殺されている人々が殺されなくなるということが書かれているが、さらに、後で、文明解体によって死ぬ人々の一人として自分に言及してみせる。

私はクローン病を患っており、ハイテク医薬品に人生を依存しています。薬がなければ私は死んでしまいます。しかし、重要なのは私個人の生ではありません。地球の存続は、私自身を含むいかなる人間の命よりも重要です。

 自らを否定するほどのラディカリズムがここに確かにある。これほどに急進的でなければオルタナティブが成立しえない、我々の文明の強さ、恐ろしさを我々は逆説的に確認することができる。ラディカリズムは拡大鏡になる。文明の臨界に触れるための、特殊な道具になる。

 さて、グリーンテクノロジーは世界を救うのか?

ソーラーパネルや風力タービンは何もないところから作られるわけではありません。これらは金属、プラスチック、化学物質から作られています。これらは地面から採掘され、輸送され、加工され、製造されています。各段階では、生息地の破壊、水質汚染、植民地化、有毒廃棄物、奴隷労働、温室効果ガスの排出、戦争、(そして)企業利益など、荒廃の痕跡を残します。

(中略)

いわゆる「再生可能エネルギー」やその他の「グリーンテクノロジー」は、最初から最後まで地球の破壊につながります。そうしたテクノロジーは過去 150 年間世界中で蔓延してきたのと同じ工業的な抽出および生産プロセスに根ざしています。

 よって、やはり文明の解体しかないということが結論されることになる。ちょうど人生に行き詰まった個人が自殺を考えるように、文明もまた自殺を考える段階にあると結論することになる。もしもその存続を望む場合は、ちょうど個人に自殺を翻意させるような困難と同様の困難が生じることになる。

 

 

参考資料

Frequently Asked Questions (FAQs) | Deep Green Resistance

 

 

the Memory of Mankind archive(MOM):  大忘却の3つの理由

 人類の記憶(MOM)プロジェクトが自分自身の存在意義を説明するために、現代の人類文明に、彼らの言うところの「大忘却(Big Oblivion)」が発生する3つの理由を述べている。これらはそのまま、人がアーカイブを、あるいは「歴史する」ことを組織する時の理由の、1つの具体例であり、貴重なサンプルである。

 ところで、人類の記憶(MOM)プロジェクトとは何か。それは現在の人類文明に関する知識を忘却から救い、保存することを目的とした保存プロジェクトである。 2012年に始まったこのプロジェクトでは、セラミックタブレットに情報を印刷し、オーストリアハルシュタットにある塩鉱山に保管している。MOMプロジェクトは、このプロジェクトの目的を、特にデジタル情報の時代において、重要な知識や情報が失われないようにする方法として(すなわち大忘却に備える方法として)、私たちの時代の物理的な記録を残すことと説明している。 タブレットは何千年も使えるように設計されており、人類の知識のスナップショットを後世の人々に提供する。このプロジェクトはまた、タブレットを保管する権利を購入することで、個人が個人的な思い出を保存する機会も提供している。

 大忘却は以下の三つの理由で生じる。まず、今日、インターネットの急速な拡大に伴い、34億人がオンラインでデータトラフィックを生成し、これがエネルギー消費と二酸化炭素排出の主な原因となっている。データトラフィックの増加は18か月ごとに2倍になり、将来10年間で現在の50倍以上になる見込みである。これにより、インターネットはすでに世界の炭素排出量の3%を占め、将来的にはデータの大幅な削減が生態学的および経済的理由から避けられなくなるかもしれない。

 次に、クラウド利用者が死亡したりして「存在を終了」すると、その費用が払われなくなり、幾度かの未払いの後にクラウド上のデータが削除される可能性があるが、このためにクラウド上にある現代のブログや科学的な成果は将来の歴史家にとって貴重な情報源となり得ないことになる。

 最後に、情報の洪水により正確さが損なわれるという事態がある。古代の文書が1%未満しか残っていないのとは対照的に、今日では文書の公開は容易であり、疑似科学が広まる傾向があり、様々な冗長なたわごと――例えばこのブログのような――に貴重なデータを量で圧倒している。これにより、未来の歴史家たちは真実を見つけるのが難しくなり、彼らの現代についてのイメージが完全に歪んでしまう。

 以上、大忘却の三つの可能性をプロジェクトの記事からまとめたが、これはいずれもインターネットの登場で生じた問題と言うことができるだろう。

 

参考資料

Three reasons for the Big Oblivion - Memory of Mankind

2024年2月1日 北欧の刑務所

 木曜日、曇り。昨夜、帰宅せずに出張先に前入り。取引先の奴らの朝が早い。北欧の刑務所みたいなホテルに泊まる。風呂に入る気力がない。じっと天井を見る。荷物が重いから本を持ってきていない。最近はKindleを使っている。本はブルジョワの物なんですわ。ご存知なかったか。コンビニで北欧の刑務所みたいな飯を買って北欧の刑務所みたいなホテルで食べる。朝、一瞬北欧の刑務所の看守みたいな奴らと会い、さらに北欧の刑務所への移送列車のような電車で別の出張先へ移動する。また北欧の刑務所みたいなホテルに泊まり、夜間の業務に備える。北欧の刑務所みたいな惑星の、北欧の刑務所みたいな列島の、指名手配犯のような俺。北欧の刑務所のエアコンもこれくらい乾燥するのだろうか。そうでないとしたらここは北欧の刑務所より酷いことになる。南欧の刑務所だ。これはヘイト・スピーチなのか。もう何でもいい。俺は塀のないアウシュヴィッツ強制収容所にいるのだ。俺は毎朝ジャンプさせられては、地面との距離を計測され、一定の値を下回ると銀歯と衣服の再利用のために穴の中に送られる。お前は俺がアナロジーを弄んでいると思っているが、そもそも言語はアナロジーの集合であり、俺は現実を確かに指し占めている。

2024年1月30日 桐島聡が逃亡生活を続けられたのは我々の生活レベルが長期逃亡犯の生活レベルになったから

 火曜日、晴れ。寒すぎて嘔吐しそうだ。朝早いが朝飯を食べているといつも犬が寝床から出てくる。ちなみに帰宅すると迎えにも来てくれる。犬は完璧な生命体だ。最近はいつも服を着せているから朝に「裸」の姿を見ると何か違和感がある。仕事は今日もクソだった。カスみたいな仕事だ。拳銃があったら拳銃があることを確認した瞬間に自分の頭を撃ち抜いている。銃規制の強い国に住んでいて良かった。ブルシット書類を作ってブルシット印刷してブルシット製本した。明日もブルシット詰められや、ブルシット移動、ブルシット呼吸がある。

 結局、桐島聡に関わる最大の問題とは何かと言えば、桐島聡は何故、半世紀の逃亡生活を続けられたのかと言うことであり、そして、自称・桐島聡の証言と証言についての報道を信用するならば、桐島聡はいかなる「組織的支援」も受けていなかったということである。このことは明らかに、長期逃亡犯についての我々の直感に反しており、およそ、犯罪者が組織的支援なしに「普通」に暮らすことなど信じ難いという感情を惹起する。しかし、何らかの方法で「普通」に暮らすことで長期逃亡生活を維持したのではなく、「普通」に暮らすことそのものが長期逃亡生活の条件だとしたらどうだろう? そも、東アジア反日武装戦線は地下闘争継続の教えとして、近隣住民への挨拶、夫婦を装う、朝に家を出て夜帰ることが重要であると『腹腹時計』に書いていたはずである。とはいえ、また、私はここまで「普通」というように鍵括弧で閉じてきたが、「普通」の生活のクオリティが桐島聡の逃亡生活のクオリティへと(落ちることで)近づいたことを見逃すべきではない。桐島聡はリーマン・ショック以降は「努力して」普通の生活を装うまでもなかったのではないか? 例えば我々の中の誰が「組織的支援」など受けているだろうか? 組織的支援などないのが、「普通」である。今や「カイシャ」ですらもが、疑似家族的なコミュニティの外観をかなぐり捨てつつある。我々は今や完全に孤立した個人であり、未婚もさほど珍しくなく、名前を知り、過去を知るほどに深い付き合いのある友もおらず、休日は労働の疲れを癒やすためにエロ漫画を読んだりソーシャルゲームをしている。指名手配犯の手配書を読む暇さえ、もう、我々にはない。桐島聡は時間の経過とともに「普通」の生活を容易く維持することができるようになり、そして官憲と時代とから、逃げ切ったのである。

2024年1月29日 桐島聡を捕まえたのは北風ではなく太陽だった

 月曜日、晴れ。相変わらずクソ寒い。キレ散らかしている。すべてを破壊する。残業と出張だらけで死にそうだ。はっきり言って疲れ果てている。もう仕事は辞めだ。お前らで勝手に再生産していろ。クソどもめが。書類の体裁が悪いと言って却下された。ブルシット・ジョブだ。

 この日記で言及していた自称・桐島聡が今日、死んだとのことである。間もなく戦後80年になり、我々がセックス上納システムと派閥政治と和式便器のような国立競技場というカードのみで混迷の時代に挑むしかないこの、本月本日を以て、自称・桐島聡は消え失せた。官憲ではなく、時代から、桐島聡は逃げ切ったのである。本月本日の子供らがカラシニコフの使い方を学ぶか、外国に行くか決断を迫られる日のことを思えば、そう言う他にはあるまい。ところで、桐島聡はどのように捕まったのか、ということを考えてみたい。ニュース記事によれば、桐島聡は路上で倒れているところを病院に運ばれたということである。このような事態は何故、可能になったのだろうか? 我々は路上で倒れている人がいる時に病院へ連れて行くという判断ができることの幸福を記憶しておくべきである。間もなく、それは、遠い日の想い出になる。明らかにそこには、国民皆保険制度への期待や、あるいは何らかの行政の介入があるであろうから、医療費などというものは一旦無視して、誰でも病院へ運んで構わないという、現代日本の医療・福祉体制への期待がある。これこそ、実は、長期逃亡生活の最大の障害である。つまり、捕まりさえすれば、その他の普通の市民のように医療的ケアが受けられるという予期が、長期逃亡生活を蝕み、指名手配犯を追い詰める。指名手配犯の困難は指名手配などされていない、普通の市民の生活のクオリティに比例している。普通の市民が良き生活をすることが、何よりも指名手配犯を追い詰め、そして場合によっては、「助ける」という形で指名手配犯を病室に捕らえ、自分の本当の名前の自白させる。しかし、いよいよ桐島聡が決して捕まらないような世界が近づいているのではないか? つまり、路上で人が倒れていても、放置するような世界、金がなければ医療的ケアなど期待しようもない世界が。そしてそのような世界から桐島聡は逃げ切ったのだと、私は言っているのである。私には30000000円は用意できそうにない。

2024年1月28日 東アジアへ侵略することができるほど強力な徴税権力にしか末期癌患者への緩和ケアを組織できないとすれば

 日曜日、晴れ。犬と長めの散歩。夕飯を買いに行く。頭というか首が痛い。毎日そんなに書くことなんかない。今日もGoogleで桐島聡と検索してみたが、工務店で偽名で働いていたということ以外に新しい情報もない。しかし俺は何故、この末期癌の、指名手配犯に拘ってしまうのだろうか? 思うに、桐島聡がどのように生き延びてきたかが気になるのだと思う。およそ領域国民国家とは、中世の権力が王の身体との距離に比例するように統治を強くしていくのとは違って、(警察力比例の原則はあるが)、領域の隅々まで同じ強さの統治を貫徹していることになっている。ところが、桐島聡のような指名手配犯が生存し続けることができる余地があるということは、恐らくは、そこに、ネオ・中世への入り口か、あるいは旧き良きアジールなのかわからないが、何か領域の隅々まで完璧に統治していることになっている領域国民国家というもののセキュリティ・ホールが隠されている。しかし、勿論、オールドな左翼・リベラル知識人のオリエンタリズムのようなものは慎まねばなるまい。というのは、桐島聡は、まだ情報は少ないが、末期癌の苦しみのためにか、末期癌の苦しみの緩和ケアの継続のためにか、自分は桐島聡であると言い始めたのであって、つまり俺達はここにアナーキズムの末期癌への敗北、あるいはアナーキズムの、末期癌への緩和ケアを組織できるような巨大な徴税権力を前提とした福祉国家体制(そしてその巨大な徴税権力は左翼やリベラルが嫌うような戦争や環境破壊や再開発をする力でもある)への敗北を観測するかも知れないのだから。とはいえ、俺は貰えるものは貰っておけと、あなたには言う。